熊本県益城町近郊のお葬儀(お通夜・お葬式)に。

忌中札について

ある僧侶の方から「『忌中札』のルーツって知らない?」と訊かれました。玄関に『忌中』と書いて貼り出してある紙です。最近は『還浄』『寂』などの札もあるようです。

元々死をケガレとして捉える古代からの民俗的な(神道的な)考え方や、伝染病への警戒から、その家に死者がいることを示し、その家に関わりのない者が立ち入らないようにするためのものだと理解していたのですが、いつごろ始まったのかを知りたいとのことで、ついつい安請け合いして調べてみました。

まず、本棚の『民俗小事典 死と葬送』を捲ってみたのですが、【忌み】【忌中】の項目はあれど、ルーツまでは乗っていません。

困ったなあと思いながら、喪葬令服紀条とか服忌令とか(昔の弔いに関する法律です)にアタリをつけて調べていると、奈良県のホームページに『古代社会とケガレ意識』というPDFがありました

これによると、PDF8/23ページ(121)上段より
また、発掘調査によって多くの木簡 が出ていますが、こうした木簡を見ても、村の中に死者が出ると、死者が出たということを往来の人に示すために、立て札を建 ていることが分かります。その立て札には「物忌(ものいみ)」と書いているのです。これによって、その村の中に入るのを避けなさいと いうことを知らせるわけです。国道二四号線のバイパスを作るときにも、平安時代初めの物忌札が見つかっています。

ということで、平安初期には既にあったようです。

このPDFを読んでいて面白かったのですが、

PDF6-7/23ページより
現代では人が亡くなると、その門口に「忌中」という札を貼ります。これはこの家に亡くなった人が出たということを対外的に知らせるものです。ですから、忌むという言葉は不祝儀の意味で使われているのですね。ところが、奈良時代以前は逆でした。忌むという言葉は本来「神聖な」という意味を持っていたのです。

(中略)

ところが、この「神聖な」ということをあらわした忌むという言葉の意味が、奈良時代末期になると、大きく変化をしてくるようになります。奈良時代の末期、桓武天皇の時代から吉凶の観念が強く打ち出されるようになります。これは陰陽道など中国的な思想の影響であろうと考えられます。そして、このころを境に、忌むという言葉がまったく逆の意味になってきます。たとえば、死のケガレを忌むといったように、現代にも通じる意味に変化してくるのです。

『忌む』は元々『神聖な』という意味だったようです。

昔、あるお寺での法話で「『忌中』というのは慎みの中にあるという意味です」と仰った僧侶の方がいらっしゃいました(『己』の『心』の『中』ですからね)。

人も病院で亡くなり、口にする肉も包装されている現代社会では、なかなか死を意識することがありません。

その中で、やはりこの貼り紙にはそれを意識させるものがあります。

僕にお尋ねになった僧侶の方は浄土真宗本願寺派の方だったので、「出来れば『往生』とか『南無阿弥陀仏』とかが良い気がするんだけどねえ」と話していらっしゃいましたが(『還浄』についての話も出た)、個人的には何らかの目印があって、それを見た人に、そこに一人の人が生きていたということを、認識してもらって、ほんのちょっとだけでもそれで揺さぶられる何かがあれば良いんじゃなかろうかと思う次第です。

 

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