熊本県益城町近郊のお葬儀(お通夜・お葬式)に。

北海道で講演しました

5月末に、浄土真宗本願寺派北海道教区空知南組さんにお呼ばれしてきました。

第1回くうなん塾並びに北海道教区組巡回差別学習会

実は話をしに行くのは昨年秋から数えて3回目なのですが、前の2回は県内でしたし、前半45分・後半45分・延長戦(パネルディスカッション)40分と喋る時間が最長で、テーマと話の流れを構築できて原稿というか要点を押さえた物を作り始められたのが10日前くらい。スライドは当日朝4時くらいまで作ってました。効率悪いですね!

結局どうあがいても、自分のことや、自分が何についてどう受け取っているかしか話せないわけで、色々カッコ付けようとか考えずに早めに諦めて作り始めようと心に誓いました(が、多分誓ったことを忘れてまたアタフタするのでしょう)。

お寺との関わりなど

手品を交えて

体験したことや、どのように受け止めたのか

妻も話してくれました

パネルディスカッション

 型に当てはめるよりも、型を壊す方向を心掛けたのですが、成功したのかどうか。

まあ、こんな感じで受け止めて下さった方もいらしたようで、嬉しい限りではあります。差別学習会と銘打たれていましたが、差別の根がどこにあるかと考えたときに、「本来こうあるべき」という根拠に欠けた思い込みに囚われるところではないかと僕は考えていて、そもそもまともなモノの見方が出来ていない(邪見)のに枝葉を摘み取っても仕方がないんじゃないかとか色んな事を考えながら特に明確な答えを打ち出せずにおり、そもそも明瞭な答えなんて無いながらもそのとき最善だと思うことを積み重ねていくだけしかできないこの有様をつらつらとお話ししたのが良かったのか悪かったのかはわかりませんが。

そのとき最善だと思ったことが、後から思い返してみると全然イケてなかったと感じられたりもしますよね。しかしながら、そう感じられるのは自身に何らかの変化があったからであって、つまりどれだけか成長したということでもあります。

ということは、今していることも、後から思い返すと割と恥ずかしく感じられたりするのかもしれません。そうあれた方が良いのかもしれないと思います。

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